私が政治家を続けるにあたっての憲法のようなもの プロフィールはこちら
.対決よりも解決
交渉とは左手でナイフを持ちながら右手で握手をするものだなどと言いますが、今の政治は同じテーブルにすらつくことができない、そうなってはいないでしょうか。ここ10数年間、圧倒的に選挙に強い自公政権が続いたことで、政治家だけでなくメディアや支持者まで保守側、リベラル側と色が強く出るようになりました。主張が強くはっきりとした政治家の演説がテレビで放映され続けることで自身がどちらよりの考え方なのか、多くの国民が認識するようになったと分析しています。
政治的思想がはっきりと別れた中、全てを通すことのできた自公政権とほとんど通すことができなかった野党側でイデオロギー対立以上に相容れない雰囲気ができてしまいました。実生活で支障が出ることは殆どありませんがネット上の言論空間では激しく対立した言い争いが耐えません。
それを味方につけるためにも政治家は更に汚い言葉を使って相手を罵るようになりました。
もはや国会は議論の仕方を忘れてしまったのです。
そんな時に誕生したのが国民民主党であり、その結党の精神「対決より解決」なのです。
我々は与野党関係なく議論のできる政党であり政治家です。与野党、保守リベラル関係なく議論を行い良い政策であれば賛成し、悪いものであれば対案を出すそれこそあるべき政治家の姿ではないでしょうか。
2024年10月の総選挙で国会はハング・パーラメント(宙吊り国会)となりました。また、目黒区議会も自公で過半数を取れていません。そんなときこそ、我々国民民主党がテーブルを作り、みんなで話し合って最も良い政策を共に作り上げて行くための司会者となれると考えています。
.何が平等かを常に考える
政治家の仕事は不正解の中から正解を選ぶことではありません。社会はそんな単純にできているわけではなく、一つの政策を実行すると得をする人もいれば損をする人がいる、そういったものがほとんどです。そんな中でどこで線を引くか、一時的に損をする人にどう説明するかが政治家の仕事だと思っています。
上の図は有名な平等(左図)と公平(右図)の違いを表すものですが、どちらを選択するにしても平等(左図)であれば子どもへの説明が必要になり、公平(右図)であれば成人男性への説明が必要になります。一見公平(右図)は完璧な答えだと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、私はそう簡単に考えていません。
公平(右図)の男性だって低い台しか与えられていないことに我慢をしているかもしれません。こういったことが続いてしまえば不満が爆発してしまうかもしれません。また、男性も歳を取りより高い台が必要になる日がくるかもしれません。そんなときに対処方法を用意しておかないと長年の我慢がなんだったのか、と後悔することになるでしょう。
ですから、政治家の最も基本的で難しい仕事は、何が平等かを決めることあり、それを決めたら関係者にしっかりと説明することだと思っています。
また、今の感覚でいうと公平(右図)を選ぶほうが全体の理解を得られるでしょう。しかし、1000年先でも同様の価値観であるかわかりません。坂本龍馬が当時英雄として祀られたかもしれませんが、今の世であればただのテロリストと評価されてしまうかもしれません。
世の価値観が変われば政治家の価値観も変わるべきだし、意見の変化を恐れてはいけません。
.隙と優しさと謙虚さ
完璧すぎる人間は政治家に向いていないと言われることがあります。完璧すぎると困っている人々のことが理解できないということなのでしょう。実は私もそう思わされるような一件がありました。
上司のパワハラにより会社を辞め数年間引きこもっている方から相談がありました。スーツをビシッと決めて会議室を予約して相談に望んだんですが、なんだか話が弾みません。本来相手方の話を聞くことが得意なはずなんですが、全然引き出せませんでした。
途中から気づいていました。なんだか仰々しい雰囲気が、彼にプレッシャーを与え、議員と相談者の関係になっていたのです。もとから社会に復帰できないことに後ろめたさを感じていた彼に一見真っ当にやっている私の姿が無言の圧力となっていたのでしょう。
後日、ファミレスにて普段着で軽くワインを飲みながら相談にのったところまるで違う彼の姿を見ることができ、彼の本音を聞けた気がしました。
助けたくなる人と助けてもらいたい人って、普通は別の属性ですよね。たまにこの両方の属性を持っている政治家がいます。その一人が玉木雄一郎なんですが、どう説明していいのかわからないですが、間違いなく言えるのは謙虚さは政界随一です。私はそういった人がこれからの政治を引っ張るべき人なのかなと感じています。
政治家はちょっとくらい隙のある方がいいのではないかと感じています。人に助けられ人を助けるのが人間社会です。
.若者の力を信じる
2024年10月の衆議院議員選挙では10代から30代の投票先のトップが国民民主党となったと大きく報道されました。ただ、その際に出た批判の仕方で一つ気になることがありました。それは、若者は騙されやすいから耳障りの良い政策になびきやすい。といった批判です。
果たして若者は騙されやすいのか、私はまるでそうは思いません。今の若者のネットを使った調査能力や情報処理能力は40代の私ではまるで敵いません。ネットに慣れ親しみ、1秒でも無駄にせずに情報を得たいと暮らしてきた彼らは情報に対する姿勢がまるで違います。
映画を1.5倍速で見る若者が多いと言われ私も最初は驚きました。タイパと言って、時間に対する対価を求めているわけですが、それでいて感動もできているというのです。私も1.25倍速でYouTubeで見るように努力しています。笑
このあふれかえる情報をものすごいスピードで把握し取捨選択を行って来た若者に我々ロートルが叶うわけもありません。恐竜が滅びて哺乳類(人間)の時代が来たように時は、生物を確実に進化させます。若者は圧倒的です!
若者の話を聞けない大人が多すぎる!
ある場で憲法改正について話し合う機会がありました。改正賛成派、反対派両者とも長年取り組んできたベテラン勢が議論を引っ張りよい議論ができているなと感じていましたが、白熱するあまり言葉が乱暴になるようになっていました。そこにある若者がふと「議論が煮詰まりすぎて、私が意見できる隙間はないですね」と言ったのです。
若者は年長者が白熱し議論する場を白けてみています。知識がないまま稚拙な意見を言うものなら「だから若いやつはわかってない」などと罵られてしまうことが見えているからです。
知識が少ないのは当たり前です。そんな中で議論に参戦するには勇気がいります。
今の若者は空気も読みますので、自分が発言しても良い場なのかどうか確認をして、問題がなければ発言をするのです。知らず知らずに年長者が若者の価値ある意見を消してしまっているのだと感じました。若者が議論に参加しやすい環境を作るためには我々年長者は発言をセーブし、はじめに若者が発言できる場を作るなど工夫が必要です。
政治の世界こそ若者のちからを
エンターテイメントやビジネスの世界では若者の台頭が目立って来ているように思います。それはネットやSNSなど新しいテクノロジーを使うことが要因かもしれません。しかし、まだまだ古い人間が支配する世界があります。
政治の世界も期数や年齢が大きくものを言う世界です。一人一票の民主主義とはかけ離れた世界です。派閥の長や役職者が多くの人間の人生をコントロールする世界です。
そもそも若者や女性はお金の面からも選挙に立候補することすらできません。また、運よく当選しても議会でも政党でも中々活躍する場もありません。そもそも被選挙権も年齢が限定されているのもおかしな話です。
政治の世界だけではないですが、特に政治の世界では若者が力を発揮し活躍できる仕組みを作っていかなければなりません。
.声なき声(無言の大多数)を聞く
声の大きい人だけが得する社会はだめだ!
区議会議員となって驚いたことの一つが、有名市民の存在です。目黒区民は29万人もいるわけでその一人ひとりの顔を名前を知ることなどできません。しかし、政治家をしていると何度も何度も聞く名前が出てきます。陳情や請願、ロビー活動や社会活動などで実際やっている方は同じ方が多いのです。
当然行政に携わる活動をして頂いてるのはありがたいですが、政治家はそういった人達の話ばかりを聞くようになってしまう側面もあります。特に社会活動や政治活動に熱心な方々はある一定の主張をされますので、それに流されていくことは危険だと思っています。また、政治家とコンタクトを取る業界や個人だけが得をするようでは残りの方々が損をしてしまうことになります。
普段から政治家とコンタクトを取れる人は少ないです。大多数の国民は生きるのに忙殺されていて政治家に直接声を届けることができていないのです。本当に助けが必要なのはこういった方が何だと思っています。
私はこういった声なき声を聞ける政治家になりたいと考えています。
声なき声を聞くには
私はわたしを政治家だと思ってないような方々との交流、私が自ら飛び込んで行くような交流を大切にしています。ですから、私はなにか区民に話を聞きたいときでも政治家だとは極力名乗らず、取材をするようにしています。極力生の声が聞きたいからです。
また、行政などが市民の声を聞くためにワークショップを開く際は自薦ではなく、無作為抽出を推奨しています。自薦でのワークショップも重要ですが、同じ顔ばかりになってしまいがちです。
また、古くから付き合いのある方からの意見はとても大事にしています。学生時代の友達、介護職として携わってきた仲間たちからの率直な意見はなんの偏りもなく多くの気づきを与えてくれます。昔からの友人の話は声なき声に一番近いのではないかと思っています。
.健全な競争はサービスの質を上げ、不正を防ぐ
健全な競争が行われる市場の管理も政治の大切な役目だと思います。地方議会にいてもそれを感じることが多々あります。行政施設の管理を任せたり介護施設の運営任せる際に指定管理という制度が使われることがあります。これは、公募を募り様々な形で競争入札が行われより良い案や安い金額を提示できた事業者が勝ち取る流れになります。
入札が1件しかなかったり、そもそも条件に合致する事業者が極端に少ない場合などがあります。また、委託にの更新さえ行われず随意契約(公募なども行われず契約が続く)が締結されることすらもあります。こういった場合に癒着や不正が生まれやすいのは想像に難くないでしょう。
また、行政の行う福祉事業などでも1社独占で補助金が使われることがあります。数年前に貧困女性の救済や実態調査を行っていた事業者に対してサービスの質や補助金の使い方に関して疑問の声が上がったことがありました。
このような場合でも同様の事業を行う事業者が複数者いて、利用をする女性がサービスの質を見て選ぶことができたうえで、利用する人が多ければ利益が出る報酬型の制度であればこのような問題は出ませんでした。
また、競争が業界の質をあげた例が介護保険です。介護保険は2000年に行政の措置制度から分離する形で保険化されました。保険化されることで株式会社など営利企業が参入することができるようになり、競争が行われ事業者はサービスの質を競い合いました。それから25年たち、様々な需要を満たすサービスが誕生しまし、高齢者やご家族の需要を満たしています。
一方措置制度のまま残った障害サービスはそれほど競争がおこらず介護ほど種々のサービスは生まれていないように見えます。
政治家たるものビジネスマンであれ
政治家にとってもビジネスの経験は必要だと思います。ビジネスと言っても単にサラリーマンではなくて事業経営の経験または経営中枢部門の経験です。
経営者は経営理念の設定、事業計画の策定、金融、人事などなど普通の従業員は通常取り組まない仕事を毎日行っています。自身の事業を軌道に乗せるため、世の中が何を求めているか、どのくらいの値段なら売れるか、作るのにいくら必要か、従業員は何人必要か。ビジネスを回すためには一つの部門だけではなく総合的にサイクルが回るように常に考え続けなければなりません。その成果として利益が入ってくるわけです。
また、自分自身の資本だけでなく人(金融機関)からお金を借り、従業員の生活を守らねばならないプレッシャーと闘った経験は中々できるものではありません。
政治もビジネスに非常に似ている点が多くあります。国や自治体の仕事も予算の中でどの事業を行い、人民の生活を豊かにするか、でありそのせいかとして人口が増えたり税収の増加に繋がります。ビジネスの視点がない政治家は理想ばかりを求め、無理な事業や費用対効果の薄い政策を求めがちに感じます。
また、起業家の大きな力の一つ、斬新で新しいアイデアを出し実行する力も政治に求められています。時に政治家にはイノベーションを起こし人民を引っ張っていく力が必要です。
私もデイサービスではそれまでなかった短時間で入浴とリハビリが受けられる施設を開業し施設数を伸ばしてきました。政治の政界に入ったので少し休憩中ですが、私には介護旅館を開く夢があります。私の夢はこちら
いつか政治を行いながら世の中にまだないサービスを提供するのが私の夢です。